概要

太田市南部の高林・東矢島古墳群の1基。古墳群の中で最大規模を有する古墳である。別名:九合村(くあいむら)51号墳。 明治初期までほぼ完全な状態の墳丘が残存していたが、周辺の宅地造成の進展に伴い、大正時代後半ごろに後円部が削平を受けた。この際に横穴式石室が検出されたが、未調査のまま破壊された。数年後に古墳の実査が行われたが、その時点で墳丘は前方部の一部のみが残存していた。周辺住民の証言に基づく推定により、当初の規模は105mと判定されたが、その後の調査によりさらに大きかったことが判明し、推定115mとされた。その後、古墳は完全に破壊され、現在は住宅地となっている。 1999(平成11)年、同古墳が所在した区域で区画整備が行われた際、太田市教育委員会が古墳の痕跡の残存可能性を指摘し(実際に後円部の一部は削平されずに地中に埋没していた)、当該地点の調査を実施した。その結果、前方後円墳の周壕の一部および全長14m以上の横穴式石室が検出された。また、大量の小札甲片、武器、馬具などの遺物破片が出土した。 (群馬県教育委員会『群馬県古墳総覧』2017年5月、群馬県『東国文化副読本』2021年4月ほか)

基本情報

所在地群馬県太田市南矢島604-1外
築造時期後期
墳丘形状前方後円
墳長110(101.6)m
後円部径径56.1m 高6.1m
前方部幅60.2m 長48.8m 高6.1m
出土品管玉3・金銅製耳環・六鈴釧・鉄刀2・圭頭大刀・鍔・短甲?・雲珠・杏葉出土の記録あり。
(伝)石棺

みんなの口コミ

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  • Guest2025/07/07

    数値の根拠となった文献や調査報告書がどれなのか、具体的に掴みたいところだ。

  • Guest2018/10/21

    消滅した岩鼻二子山古墳と並べば、群馬県内で20位相当の規模を誇っていたはずだ。失われたのは本当に惜しい。