概要

宮中野114号墳。別名「勅使塚」とも呼ばれる全長92mの帆立貝式古墳。主丘部直径80m・高さ7m。1982(昭和57)年に発掘調査が行われ、横口式石槨(よこぐちしきせっかく)という珍しい構造の主体部が造り出し部から発見された。石室の板石が一旦抜き取られて細かく砕かれ、再び石室に戻された形跡があり、これを何らかの儀礼的な行為であったと解釈する学者もいる。石室内からは銀象嵌の施された鉄製の柄頭や銀製の弓弭(ゆはず)金具、銀製の刀子(とうす)、耳環などの副葬品が出土した。

基本情報

所在地茨城県鹿嶋市宮中
築造時期後期
墳丘形状円墳
墳長-
後円部-
前方部-
出土品-
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みんなの口コミ

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  • Guest2016/04/30

    : 勅使塚って呼び方、朝廷の役人が病気で亡くなったって言い伝えがあるからなんだ。茨城県内には似た伝説がある勅使塚が何基もあるって、ちょっと不思議だね。 : 朝廷派遣官吏の埋葬地として記録された古墳が勅使塚と命名される傾向が、茨城県内に複数存在する。疾患による死亡という共通の伝説背景が認められる。 : 勅使塚—皇帝の使者が病で倒れて埋葬されたという言い伝え。それが茨城のあちこちに複数存在するなんて、古代史の深さを感じさせられる。 : 勅使塚の名称由来は、朝廷から派遣された役人の病死埋葬との伝説による。同一の伝説パターンが複数の古墳に付与されている点は、茨城県内に顕著だ。 : 勅使という朝廷の使者が疾患で亡くなり埋葬されたことが、この古墳の名前の由来となっている。類似の伝説を持つ勅使塚は茨城県内に他にも存在する。