概要
墳丘長73m、高さ10mの帆立貝形古墳である。墳丘は2段築成を呈する。下坂本陵墓参考地に指定されており、木の岡古墳群の1基として当古墳群内では最高所に位置する。

墳丘長73m、高さ10mの帆立貝形古墳である。墳丘は2段築成を呈する。下坂本陵墓参考地に指定されており、木の岡古墳群の1基として当古墳群内では最高所に位置する。
| 所在地 | 滋賀県大津市木の岡町30-17 |
|---|---|
| 築造時期 | 時期不詳 |
| 墳丘形状 | 不詳 |
| 墳長 | - |
| 後円部 | - |
| 前方部 | - |
| 出土品 | - |
| 棺 | - |
木の岡丘陵の住宅地を歩きながら本塚と陪塚4基を訪ねた。本塚は宅地の階段を上った奥の歩道の先にあり、説明パネルから木の岡古墳群は丘陵上の5基と南麓の1基で構成され、本塚は「丸塚古墳」とも呼ばれることを知った。宮内庁の札のみが立つ施錠された門の奥では、古墳が静寂の中に佇んでいた。坂を下ると全長84mの前方後円墳・茶臼山古墳が現れ、発掘調査の結果から5世紀の築造と判明している。だがここに矛盾が生じる。本塚は7世紀代で天智天皇の皇后の墓所の可能性があるのに対し、陪塚の茶臼山は5世紀であり、陪塚が本塚より先に築造されるはずがないのだ。丘陵の最高地に位置する本塚の背後には琵琶湖が遠く望まれ、犬の声が時折聞こえる住宅地の中で、古墳からは野鳥たちの鳴き声だけが絶えず響いていた。