概要
新別府川に接する砂丘の先端に立地する墳長52mの前方後円墳で、前方部が撥形に開き、古墳時代前期(出土土器から4世紀前半~中頃)に造られたと考えられている。平成12〜15年にかけて宮崎大学により発掘調査が行われ、調査の結果、墳丘内で長さ約7.5m・幅約4.5m・高さ約1.5mの木槨が発見された。当時の新聞では、九州で初めての発見で、奈良県のホケノ山古墳の木槨の大きさを上回る国内最大の木槨と発表された。

新別府川に接する砂丘の先端に立地する墳長52mの前方後円墳で、前方部が撥形に開き、古墳時代前期(出土土器から4世紀前半~中頃)に造られたと考えられている。平成12〜15年にかけて宮崎大学により発掘調査が行われ、調査の結果、墳丘内で長さ約7.5m・幅約4.5m・高さ約1.5mの木槨が発見された。当時の新聞では、九州で初めての発見で、奈良県のホケノ山古墳の木槨の大きさを上回る国内最大の木槨と発表された。
| 所在地 | 宮崎県宮崎市吉村町265-1 |
|---|---|
| 築造時期 | 時期不詳 |
| 墳丘形状 | 前方後円 |
| 墳長 | 55m |
| 後円部 | 径径35m 高4m |
| 前方部 | 幅現状18m 長22m 高1m |
| 出土品 | - |
| 棺 | - |
この古墳の呼び名はどのような背景から生まれたのだろうか。
助かった。
当時のメディア報道で話題となった古墳で、今でもよく覚えている。現地は雑草が茂っているものの、墳丘への立ち入りは特に支障がなく、公民館や市の地域事務所の駐車場が利用できたのは助かった。