概要

主軸を南北に向ける前方後円墳であったが、明治末期の鉄道工事の際に前方部が破壊され、戦時中には陸軍高射砲指揮所の設置により後円部中央が大きくえぐられた。墳丘から埴輪が採取されており、5世紀中頃の築造とみられる(Wiki)。 江戸時代には私塾至徳堂が墳丘上に設けられ、その記念碑と説明碑がある。現在40×50m程のこんもりした雑木と篠竹の草生地であるが、グーグルマップの航空写真の土壌の具合から全長75mほどであったとみられる。

基本情報

所在地千葉県木更津市高柳字塚ノ越
築造時期中期
墳丘形状前方後円
墳長110~130m
後円部-
前方部-
出土品【石製模造品】鎌形1・斧形1・刀子形3(うち直弧文陰刻1)鏡形1
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