概要
多摩川右岸、日野台地の北西部に分布する群集墳で、現存するのは5基とされている。1954(昭和29)年の調査では横穴式石室をもつ1基から直刀や鉄鏃、刀子などが出土した。明治時代~戦前にも周辺から武人埴輪や女性埴輪、玉類等が発見されている。市指定史跡、1961(昭和36)年指定。(現地案内板)

多摩川右岸、日野台地の北西部に分布する群集墳で、現存するのは5基とされている。1954(昭和29)年の調査では横穴式石室をもつ1基から直刀や鉄鏃、刀子などが出土した。明治時代~戦前にも周辺から武人埴輪や女性埴輪、玉類等が発見されている。市指定史跡、1961(昭和36)年指定。(現地案内板)
| 所在地 | 東京都日野市新町5丁目 |
|---|---|
| 築造時期 | 時期不詳 |
| 墳丘形状 | 不詳 |
| 墳長 | - |
| 後円部 | - |
| 前方部 | - |
| 出土品 | - |
| 棺 | - |
開発の波に飲み込まれ、かつての古墳群は跡形もなく消え去った。かろうじて足がかりとなる1号墳が土地に残されているものの、それすら古墳の定義から外れているという皮肉さが、歴史の無情さを物語っている。
1号墳は明治期の発掘で2基が確認され、その一方の盛土を他方に移して古刀毘羅宮の祭祀地とした可能性が高い。2号墳は墳丘こそ失われたが石室が現存しており、砂岩製の切石を積み上げた横穴式で玄室・羨道の別なく河原石敷きの床を持ち、全長4.8m・最幅1mの規模から直刀・刀子・鉄鏃が検出されている。3~6号墳は墳丘残存の一方で埋葬主体は明確でなく、7号墳は墳丘消失・主体部未確認ながら直刀出土があり、その盛土が1号墳に流用されたとの記録が残っている。
中央高速からアプローチすると1号墳を見過ごしやすく、七ツ塚公園まで進んでから引き返すはめになった。1号墳前の道を南方向に50メートル進み、右折してから左折、さらに右折するとその先の畑の右側に1メートル程度の小丘が4基ほど連なっているが、これらが日野自動車グラウンド南側に散在する他の古墳群である。
地元の人の案内がなければ、1号墳以外は古墳として認識できなかっただろう。金比羅宮の看板のおかげで1号墳は判別できたが、他の墳丘は風景に溶け込んでいた。周辺の公園2ヶ所に立てられた説明板から、この地で発掘された埴輪や地域史について知ることができた。