概要
大正3年、開墾中に発見された古墳である。未調査のため詳細は不明であるが、発見時の状況によると、石室は地表下約3mに位置し、畳大の厚さ5~6cmの平石を箱型に組み上げていた。石室内部は、天井及び側面に朱が塗布され、床部には親指大の丸い小石が敷き詰められていたとのことである。頭骨が2体分残存していたとのことである。 (現地案内板)

大正3年、開墾中に発見された古墳である。未調査のため詳細は不明であるが、発見時の状況によると、石室は地表下約3mに位置し、畳大の厚さ5~6cmの平石を箱型に組み上げていた。石室内部は、天井及び側面に朱が塗布され、床部には親指大の丸い小石が敷き詰められていたとのことである。頭骨が2体分残存していたとのことである。 (現地案内板)
| 所在地 | 熊本県葦北郡芦北町田浦太田 |
|---|---|
| 築造時期 | 5世紀中頃 |
| 墳丘形状 | 方墳 |
| 墳長 | - |
| 後円部 | - |
| 前方部 | - |
| 出土品 | - |
| 棺 | - |
標識を目印に急勾配の道を登り詰めると行き止まりに古墳が現れるが、風化した説明板では詳細が掴めず、その正体は謎のままだった。駐車場がないため路肩の広がった場所に車を置いての訪問となった。