概要
古墳時代後期(6世紀後半~7世紀初頭)の遺跡である。金銅装太刀、衝角付冑、骨角製品とともに19体の人骨が出土し、うち14体が成人である。女性、少年、幼年の遺骨も含まれる。被葬者は東国の国造クラスに対比される豪族と推定される。頭蓋の形態は全体として関東地方の古墳時代人に近いが、成人男性2体の頭蓋に北海道アイヌとの類似が認められた。

古墳時代後期(6世紀後半~7世紀初頭)の遺跡である。金銅装太刀、衝角付冑、骨角製品とともに19体の人骨が出土し、うち14体が成人である。女性、少年、幼年の遺骨も含まれる。被葬者は東国の国造クラスに対比される豪族と推定される。頭蓋の形態は全体として関東地方の古墳時代人に近いが、成人男性2体の頭蓋に北海道アイヌとの類似が認められた。
| 所在地 | 宮城県石巻市湊字町裏山 |
|---|---|
| 築造時期 | 時期不詳 |
| 墳丘形状 | 不詳 |
| 墳長 | - |
| 後円部 | - |
| 前方部 | - |
| 出土品 | - |
| 棺 | - |
国造級の遺物が検出されながら高塚古墳の基準を満たさない背景には、被葬者が地元豪族でない可能性が濃い。関東から逃亡してきた国造クラスの人物と仮定すれば、日本書紀記載の房総伊甚国の国造「わくごの直」が最有力候補となり得る。この仮説により、埋葬形式と副葬品の規格が説明できるのではないだろうか。
地震の爪痕を目の当たりにした。瓦礫の奥に眠る洞窟を探しても、案内板は跡形もなく消えていた。津波がすべてを攫っていったのだろう。出土品を求めて湊第二小学校を訪れると、震災の日で止まったままの時計が壁に掛かっていた。