概要
標高約33m、小貝川左岸の台地縁辺部に立地。全長約75mの前方後円墳。後円部径約35m・高さ約7m、前方部幅約28m・高さ約4mを測る。5世紀末~6世紀初頭の築造か。市指定史跡、1985(昭和60)年指定。(現地案内板)

標高約33m、小貝川左岸の台地縁辺部に立地。全長約75mの前方後円墳。後円部径約35m・高さ約7m、前方部幅約28m・高さ約4mを測る。5世紀末~6世紀初頭の築造か。市指定史跡、1985(昭和60)年指定。(現地案内板)
| 所在地 | 茨城県筑西市村田 |
|---|---|
| 築造時期 | 時期不詳 |
| 墳丘形状 | 前方後円 |
| 墳長 | 72m |
| 後円部 | 径径36m 高6.5m |
| 前方部 | 幅28m 長36m 高3.5~4.5m |
| 出土品 | - |
| 棺 | - |
台地の縁に鎮座する古墳。小貝川流域は野焼きの煙が立ち込め、河岸段丘沿いを進む。進路は舗装だが狭隘で、篠竹が覆いかぶさるため車を下ろして歩を進めた。説明板に出迎えられる。前方部の高みへ。眺望は申し分ないはずだが、西斜面の灌木が視界を奪っている。墳丘は手入れ状態が良好。落葉樹は枝を払われ見渡せるが、積もった落ち葉が足を埋める。後円部頂に石祠。傍らから板石が土中より顔を出していた。埋設深度は推し量れぬが、厚さ15センチほどの石板。白い鉱物層が一文字に走る。ペンキかと疑ったが自然石だ。文字刻印があるが、歌碑でも忠魂碑でもない。信仰の対象か、それとも単なる埋葬標か。この高さまで運び上げた根拠が不明だ。石室部材の再利用なら納得がいく。数文字の漢字は判読不能。
葦間山古墳を経由し台畑古墳へ。本古墳の特徴は前方部の著しい低さにある。後円部7mに対する前方部4mの比率から、前方後円墳の典型形態が観察できる。最適な観察地点は東側の畑からのポジション。行