概要
全長(推定)141mの前方後円墳。 小貝川左岸の徳持の低地にあり、徳持古墳とも呼ばれ、後円部径82m、高さ10.5m、前方部は一部失われていると思われるが現在長約30m、高さは約3mで前方部に比べかなり低い。 本格的な発掘調査は行われていないが、赤彩された壺型埴輪が発見されている。 築造時期は4世紀末~5世紀初と推定。市指定史跡、1976(昭和51)年。

全長(推定)141mの前方後円墳。 小貝川左岸の徳持の低地にあり、徳持古墳とも呼ばれ、後円部径82m、高さ10.5m、前方部は一部失われていると思われるが現在長約30m、高さは約3mで前方部に比べかなり低い。 本格的な発掘調査は行われていないが、赤彩された壺型埴輪が発見されている。 築造時期は4世紀末~5世紀初と推定。市指定史跡、1976(昭和51)年。
| 所在地 | 茨城県筑西市徳持 |
|---|---|
| 築造時期 | 時期不詳 |
| 墳丘形状 | 不詳 |
| 墳長 | - |
| 後円部 | - |
| 前方部 | - |
| 出土品 | - |
| 棺 | - |
土手から眺めると、この古墳は想像以上に低い位置にある。小貝川は治水前、流れが定まらない川だったそうで、昔の川筋がもっと遠くを流れていた可能性も考える。ただ低地立地は築造時からの変わらぬ事実だ。葦間山の名前から、かつて葦原に突き出た丘陵を想像する。湿地の象徴である葦が繁茂していた時代があったのではないか。前方部が数百年の出水で削られたのではないかとも考察する。低地は地盤安定性という課題を抱えているが、地域最大規模の被葬者が首長・最有力者であることは確実。人間はなぜこんな場所を選んだのか。地名「徳持」の縁起の良さも謎めいている。県道脇の踏み跡をたどって後円部頂へ達した。勾配はかなりきついが、登るごとに古墳の真の大きさが身体に沁みた。
下館駅からテクテク歩いて葦間山古墳へ。小貝川の橋近くで林を発見。後円部は迫力満点で高さもあり、社が鎮座してる。竹と樹木でジャングル状態。一方、前方部は劣化が激しく、畑化のせいか平たくなってる。