概要

奈良時代の火葬墓(唐臼墳墓)と、下方に位置する3基の古墳(釜ヤ谷古墳群)からなる複合史跡。 「以下現地の説明板の内容による」 この墳墓群は、昭和40年に発掘されたもので、最も高い位置に奈良時代の火葬墓、その下方に横穴式石室をもつ3基の後期古墳がある。火葬墓には下段6m、上段5mの石列をもった方形2段築成の盛土が認められ、上段中央部には蔵骨器を納める穴をもった花崗岩製の外容器がおかれている。 3基の古墳のうち1号墳から出土した亀甲型陶棺には、横部外面に、白色の顔料が描かれている。 当墳墓群は、古墳時代から奈良時代に至る、我国の葬制、墓制を知るうえで、貴重な遺構である。

基本情報

所在地岡山県久米郡美咲町打穴西
築造時期時期不詳
墳丘形状不詳
墳長-
後円部-
前方部-
出土品-
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みんなの口コミ

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  • guest2016/12/05

    路標が整備されているおかげで迷わず訪問できた。尾根沿いに3・2・1号墳が並び、さらに上方に唐臼墳墓がある配置だ。3号墳は舗装道路脇の標識から石室を確認でき、南東向きの羨道は5m以上の長さで幅0.9m、奥壁高さ1.1m程度。墳丘と天井石は消失している。2号墳は3号墳の西側に位置し、同じく墳丘と天井石を失っているが、奥壁の石積みは見事だった。石室は3.1m×1.1m、奥壁高さ1.2m程度。1号墳は2号墳北側で、径15m高さ2.5mの規模を保つ数少ない存在。天井石3石が露出し、石室は7.5m以上×1.7m×1.6m。奥壁は下部が割れた3段構成で、右側壁に胴張の曲線が見られる。墳丘斜面の石材や羨道周辺の積石からは、当初の構造を推し量り難い。唐臼墳墓は1号墳上方にあり、二段築成の火葬墓で、中央に蔵骨器を納めた穴があり、外容器の石2石が残存している。4号墳とされる東丘陵頂部は現在開墾地で、墳丘の痕跡は辿り着けなかった。