概要
かつては大原古墳群と称され、周辺には10基の古墳が存在したが、現存するのは1号墳と2号墳の2基である。3号墳から5号墳は田畑の開墾によって消滅している。墳丘の削平に際して、勾玉や管玉、須恵器の高杯、はそう、平瓶、直刀、鍔、轡などが出土したとのことである。 夜泣石古墳の呼称は、ある民話に基づくものである。「昔、この富岡の大原の地のほとりに、都の戦いから逃れてきた高貴な方と噂される婦人とその子どもが住んでいました。ある日、婦人は子どもを寝かせて、川に洗濯に行きました。すると、そこに敵方の追手が現れて、子どもをさらってしまいました。子どもの泣き声に気づいた婦人は、後を追いかけましたが、この古墳の場所まできた時、追手の者がその子どもを刺殺してしまいました。わが子を殺された婦人は、その場で7日7夜泣き崩れて、とうとう石になってしまったということです。それから、夜になるとその石が悲しそうに泣くのだそうです。そして、子どもが夜に泣いて困る時には、この石にお願いをすると不思議と泣きやむといわれています。また、子どもが夜泣きをしたら、この付近の土を持ち帰って枕元に置いておくと、子どもが夜泣きをしなくなるという」 しかし、大正15年発行の『八名郡誌』には「大原に長者の小糖塚というものと、その付近に無名なものが・・・」という記述が見受けられ、夜泣石古墳と呼称するようになったのはごく最近のことと考えられる。 夜泣石古墳(大原1号墳)は直径17.8m、高さ2.5mの円墳であり、石室の天井石が露出する。大原2号墳は直径17.8m、高さ2.5mの円墳である。 (新城市HP)
