概要
嘉永元年(1848年)参道改修中に、境内の西南において巨石の重なりの中から太刀、花瓶、香炉、陶器類が発見されたが、その後埋め戻されたとのことである。この大谷神社は、藤原不比等の孫である藤原小黒麿にかかわる伝承を有している。伝承によれば、小黒麿は蝦夷征討の往来において当社に参詣し、その後、東夷討伏祈願のため参詣滞留中にこの地で病死し、ここに埋葬されたものとされている。実際に小黒麿は、宝亀11年(780年)に伊治呰麻呂の乱が起こると、正四位下持節征東大使として出兵している。延暦13年(794年)に病を得て薨去し、享年は62であった。
