概要

海岸砂丘上に築造された直径約36m・高さ約7mの円墳で、埴輪・周溝を備える。明治末期の調査で出土した家形埴輪と鎧形埴輪、円筒埴輪は国指定重要文化財(考古資料)。1923(大正12)年には墳頂下1.8mの場所から長持形石棺が見つかり、2体分の人骨のほか鹿角装太刀や鹿角装刀子などが出土した。家形埴輪、鎧形埴輪、長持形石棺、鹿角製刀装具については国内最北限の出土例となっている。5世紀中頃の築造。 墳丘上には1927(昭和2)年に建立された観音堂があったが、1962(昭和37)年の区画整理事業で古墳が削平・消滅したことに伴い、別の地区の観音に合祀された。 その後、古墳と観音堂があった場所は街道の一部となり、幹線道路として交通量が増加した一方で事故が続発するようになった。そこで、地区の人達が交通事故防止を願って観音堂の復元を計画、1977(昭和52)年に元の位置から南側の地に新観音堂が完成、現在に至っている。 (現地説明板) 「広報なとり」昭和52年9月1日号、No348

基本情報

所在地宮城県名取市下増田字西経塚
築造時期時期不詳
墳丘形状不詳
墳長-
後円部-
前方部-
出土品-
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