概要
墳形・規模は不明である。古墳時代後期の円墳と推定される。1956(昭和31)年8月、考古学者・甲野勇氏(当時国立音楽大学教授)の指導のもと、都立南多摩高等学校の生徒等による発掘調査が実施された。埋葬施設は河原石積みの横穴式石室で、長さ約3.5m、幅約1.2mを測る。鉄鏃、刀子が出土している。 (八王子市郷土資料館編『多摩の古墳』2009年10月)

墳形・規模は不明である。古墳時代後期の円墳と推定される。1956(昭和31)年8月、考古学者・甲野勇氏(当時国立音楽大学教授)の指導のもと、都立南多摩高等学校の生徒等による発掘調査が実施された。埋葬施設は河原石積みの横穴式石室で、長さ約3.5m、幅約1.2mを測る。鉄鏃、刀子が出土している。 (八王子市郷土資料館編『多摩の古墳』2009年10月)
| 所在地 | 東京都八王子市川口町 |
|---|---|
| 築造時期 | 時期不詳 |
| 墳丘形状 | 不詳 |
| 墳長 | - |
| 後円部 | - |
| 前方部 | - |
| 出土品 | - |
| 棺 | - |
奈良文化財研究所の調査記録によれば、小規模の円墳が存在していた。現在は消滅しているが、かつて横穴式石室を備えており、小刀および鉄鏃などの遺物が検出されている。
地図に記載された座標を頼りに現地を訪れたが、そこはただの住宅地だった。庭で仕事をしていた住人に古墳の痕跡を尋ねると、首を傾げながら「聞いたことねえな」と返された。
開発の波が遺跡の足元まで迫る中、かつての地元民の証言は別の可能性を示唆していた。七年前の畑仕事の傍ら語られた言葉は、一般認識とは異なる実態を浮かび上がらせ、真の正体は耕作の過程で蓄積した礫の塚に過ぎなかったのではないかという疑問を投げかけている。
小規模な古墳の所在地特定は、公式の遺跡地図でもカバーされていないケースが多く、実地調査の難度が高いという課題を指摘する見方に同意する。
東京遺跡地図で位置を特定してから航空写真で現地確認して足を運ぶという流れが定着してしまったが、痕跡が薄れた小さな古墳は実地調査が困難であることをつくづく実感している。
先日の調査で複数の資料を対照させながら川口古墳の位置特定を試みた。古墳マップ記載の所在地は耕作地であったが、晩秋の時期にもかかわらず植生が密生しており視認が困難であった。一方、東京遺跡地図上では当該古墳はセブンイレブン八王子川口町東店と松枝小学校西信号の間の私有地に標記されていた。該当座標には古墳特有の景観的特徴を備えた樹木が存在し、形態学的には適合する可能性があったものの、私有地であることから路上からの確認に終止した。