概要

木和田古墳は、米沢市大字木和田字月原に所在するもので、北東から延びる尾根、月原山の先端部、標高252~257mの南斜面に立地する。古墳は昭和26年(1951年)に地主の斎藤文太郎氏がブドウ園造成の際に塚を掘り起こしたところ横穴の石室が現れた。その時にこの周辺にあそびに来ていた、当時中学生の平間重光少年がこのことを上郷中学校の先生に報告した。先生は山形大学の故柏倉亮吉氏に連絡し、同年に山形大学を中心としたグループによって簡単な調査を実施している、その時の報告によると、羨道は崩されて不明であったが、玄室は奥行2.3m、幅1.3mほどで奥壁は凝灰岩の一枚岩を用い、側壁は凝灰岩の割石を積み上げて築かれている。太刀、土師器片や須恵器の長頸壺が出土した。その後昭和34年に置賜史談会によって調査が実施された。墳丘の規模は東西12.9m、南北15.8mの長円形を呈する山寄式の円墳である。墳丘の高さは現況で1.1mであるが、蓋石と盛土を換算すれば約3.5m前後と思われる。周溝は伴わないが、北西部に楕円形状の落ち込み箇所がある。古墳時代終末期の特徴である玄室と羨道を伴った典型的な横穴式石棺の形態を示す。 山形県遺跡番号:202-565 【引用・参考資料】 ・山形県遺跡地図 ・山形県遺跡番号 ・米沢市教育委員会 1998年 遺跡詳細分布調査報告書第11集 米沢市埋蔵文化財調査報告書第61集 *古墳について情報をお持ちの方コメント欄にお寄せ下さい。写真もぜひ!

基本情報

所在地山形県米沢市木和田
築造時期時期不詳
墳丘形状不詳
墳長-
後円部-
前方部-
出土品-
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みんなの口コミ

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  • guest2022/05/02

    訪問時には地権者の許可を得る必要があり、わずかな路幅の道路を通って敷地に入った。すぐ隣には木和田窯跡が存在し、開放されている入口から内部の遺構を観察することが可能である。この窯は1972年に古墳の東方30メートル地点で発見され、古墳出土の長頸壺がここで焼かれた可能性が指摘されている。全長5メートル、幅1.2メートルの無段地下式登窯で、県内初例となる地下式窯であり、8世紀前半の年代が認定されて県内最古級と位置づけられた。