概要

丘陵南斜面(標高約105m)に立地する古墳。墳丘は東西約40m・南北約30m・残存高約3〜6mで、周囲に壕がめぐり、北側と西側の壕底には排水機能をもつ石敷きが施されている。墳丘南側には両袖型横穴式石室2基(東石室・西石室)が開口する。 東石室は全長約13m、玄室部長さ約6.5m・幅約3.0〜3.2m・残存高約3.1m、羨道部長さ約6.5m・幅約1.9m・残存高約2.2mを測る。室内には阿蘇溶結凝灰岩製の刳抜き式家形石棺が納められている。6世紀末頃の築造。 西石室は全長約13m、玄室部長さ約5.2m・幅約2.5〜2.6m・残存高約4.5m、羨道部長さ約7.8m・幅約2.0〜2.3m・残存高約2.0mを測る。玄門部に閾石が置かれ、扉状施設が設けられていたと考えられている。玄室内から阿蘇溶結凝灰岩の破片が出土した。7世紀前半の築造。 国指定史跡、2002(平成14)年指定。推古天皇と竹田皇子の一時的な合葬墓と考えられている。 2009(平成21)年9月、墳丘の周囲に柵を廻らせていた柱穴列が見つかったと発表された。 参考資料:橿原市HP、現地説明板 ほか

基本情報

所在地奈良県橿原市五条野町
築造時期6世紀末から7世紀前半
墳丘形状長方墳
墳長-
後円部-
前方部-
出土品《東石室》【装身具】金銅製歩揺付飾金具【武器】三輪玉【馬具】鞍
東石室:刳抜式家形石棺

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