概要

風間B古墳は、1959年3月に青柳街道沿いの農業協同組合前の防火用貯水池建設中に発見された古墳時代の石棺である。当該石棺は山形市立楯山小学校敷地内西側(グランド脇)に移設復元されている。石棺の規模は長さ1.3m、幅0.55m、深さ0.3mであり、大小20枚の石英粗面岩により組み合わされ、東南方角を頭部方向として埋納されていた。高原・お花山古墳群と同時期(1200年前)のものと推定される(1996年8月 楯山地区振興会説明板より)。実際の遺構はかなり小規模なサイズである。同校敷地内に位置するため、見学には事前の許可を得ることが望ましい。 近隣には1961年の上水道工事中に地下約0.4mの深さから出土した直刀を伴出する間所免古墳(風間A古墳)が所在する(『山形県埋蔵文化財調査報告書第12集 分布調査報告書4 東北横断自動車道酒田線関係遺跡』山形教育委員会)。 2021年時点で、農業協同組合前の防火用貯水槽は現存する。ただし、山形県遺跡地図に示される位置と分布調査報告書(4)の遺跡概要との間に若干の位置的ずれが認められ、今後の検証を要する。 山形市遺跡番号:201-007

基本情報

所在地山形県山形市風間
築造時期時期不詳
墳丘形状不詳
墳長-
後円部-
前方部-
出土品-
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みんなの口コミ

8
  • guest2026/03/01

    近所の80代の方に話を聞く機会があった。確実ではないとの前置きだったが、出土地の地主が当時の館山小学校PTA会長で、市議会議員でもあったため、児童の学習資源として活用する目的で現在地に移設した可能性があるとのことだった。かねてから疑問に思っていたので、つい質問してしまったわけである。

  • guest2023/07/23

    考古学調査に携わった経験から、かつては発見された遺物や遺構が適切に記録されないまま失われることが珍しくなかったこと、そして保存を目的とした近隣公共施設への移設が一般的な対応だったことを聞いた。この古墳も同様に、破壊を免れるために発掘調査を経たうえで楯山小学校の敷地へ移設された可能性が高いという指摘を受けた。

  • guest2022/04/25

    楯山小学校のページに掲載されていた古い説明板の画像を確認したところ、移築の経緯については明記されていなかった。内容は現在のものとほぼ共通しており、やはり間所免古墳の石棺と表記されている。学校の至近距離という立地を踏まえると、児童の郷土学習用に設置された可能性が高いと考えられる。

  • guest2022/04/25

    学校敷地内に置かれた復元石棺は、予想外に小型であり、幼年層の埋葬対象を想定した可能性が高い。その設置経緯と時期については確認できなかった。

  • guest2022/04/23

    実地調査の成果がこうして記事に反映されるのは良いことだ。ただ、あなたが撮影した説明板の画像に、はしご越しに隠れている箇所があってな、その部分の文字が何と書かれているのか、心当たりがあれば教えてもらえないだろうか。

  • guest2022/04/23

    実地で確認してきたが、現場の説明板に記された工事中との表記から考えると、登録地図の座標が実際の位置と乖離していることが明らかである。

  • guest2022/04/23

    ストリートビューで拡大したら石棺の文字が確認できた。現地で実物を見る価値がありそうだ。

  • guest2022/04/10

    楯山小学校の西側敷地に現存する石棺を、ストリートビューで視認することで所在が確実であることが判明した。