概要
現状で全長52.6mの前方後円墳。後円部は直径21.6m・高さ約4m、前方部は最大幅15m・高さ約3mを測り、葺石・周溝をもつ。埴輪は確認されていない。内部構造は不明。古墳時代後期の築造か。県指定史跡、1989(平成元)年指定。 現在、墳丘上は墓地として利用されている。古くからこの地区では、「この塚に鍬を入れると疫病や大雨が起こる」と言い伝えられ、大切に守られてきたようだ。また、「双子の死を悲しんだ母親が供養のため2つの塚を築いた」という言い伝えもあるようだ。(現地案内板)

現状で全長52.6mの前方後円墳。後円部は直径21.6m・高さ約4m、前方部は最大幅15m・高さ約3mを測り、葺石・周溝をもつ。埴輪は確認されていない。内部構造は不明。古墳時代後期の築造か。県指定史跡、1989(平成元)年指定。 現在、墳丘上は墓地として利用されている。古くからこの地区では、「この塚に鍬を入れると疫病や大雨が起こる」と言い伝えられ、大切に守られてきたようだ。また、「双子の死を悲しんだ母親が供養のため2つの塚を築いた」という言い伝えもあるようだ。(現地案内板)
| 所在地 | 福島県安達郡大玉村大山字二子塚 |
|---|---|
| 築造時期 | 後期 |
| 墳丘形状 | 前方後円 |
| 墳長 | 52.6m |
| 後円部 | 径径21.6m 高3.5~4.0m |
| 前方部 | 幅15m 長31m 高3m |
| 出土品 | - |
| 棺 | - |
田んぼの中に取り残された場所で、路肩に無理やり車を押し込める始末だった。墳丘は後世の埋葬者たちに占領されており、特に後円部は墓石の密集地帯と化していた。江戸期まで遡る埋葬の歴史を目の当たりにしたことになる。説明板だけは最近更新されたらしく、訪問記録の画像と比べると明らかに新しかった。
遠方からの眺めでは、造出部の段差がほぼ消失しており、二つの均一な円丘が並立する光景を呈している。後円部の頂上に位置する視点から前方部を観察すれば、その前方部としての特有な形態が初めて認識されるようになる。古墳と隣接する墓地の存在が、意図せずして遺構の保護機能を果たしており、実用的な保全環境が形成されているとも考えられる。調査時には墓地の管理者による清掃作業が進行中であり、古墳周辺の環境整備も同時に実施されていた。この無意識的な保護行為が古墳保存に貢献している状況は、極めて幸運な状態といえる。