概要
坊主窪は「ごさ窪」「四十八森」とも呼ばれ古くから古墳群の存在で知られていた。第1号墳は標高250mの地に位置する前方後円墳で、主軸長27.5m、後円径15.7m、前方部長9.1m・幅9.3mを測る。4世紀前半の築造。町指定史跡、1975(昭和50)年指定。

坊主窪は「ごさ窪」「四十八森」とも呼ばれ古くから古墳群の存在で知られていた。第1号墳は標高250mの地に位置する前方後円墳で、主軸長27.5m、後円径15.7m、前方部長9.1m・幅9.3mを測る。4世紀前半の築造。町指定史跡、1975(昭和50)年指定。
| 所在地 | 山形県東村山郡山辺町大寺 |
|---|---|
| 築造時期 | 時期不詳 |
| 墳丘形状 | 不詳 |
| 墳長 | - |
| 後円部 | - |
| 前方部 | - |
| 出土品 | - |
| 棺 | - |
農道の奥、茂みの中に埋もれてたよ。狩猟者と鉢合わせしちゃったから、入る時は目立つ色の服必須だな。動物に見られたら危ない。地元の人曰く、まだ本格的な調査が入ってないらしく、ヤブがすごい。
現地は樹木と下草が多いため、墳丘の全体像を把握するなら晩秋から早春がお勧め。解説板背後の高まりが本体だが、植生が落ちてこそ真価が分かる。
まじで近所だわ。ガキのころ毎日のように遊んでた場所。中央の立ってる石、今でも鮮烈に覚えてる。
山辺町って名前、やっぱり大和のにおいがしちゃうよね。そこに日本海側の最北端の前方後円墳があるって、地名と重なって面白い。
日本海側の奥地、即ち裏日本地域を指す。庄内沿岸域における古墳分布は極めて稀少であり、内陸部についても北方に向かうほど減少傾向が顕著である。エミシとの境界領域であった点を鑑みれば、当該人物は高度なコミュニケーション能力と対応柔軟性を備えていた可能性が高い。
航空写真の表示で農道が確認できる。自動車でのアクセスが可能だ。