概要

県道平塩山辺線の東側の畑地中に「良実塚」と呼ばれる塚が存在した。1919年(大正9年)に左沢線敷設工事の際、土砂採取のため掘り起こされ破壊された。その際、直刀が出土した。直刀は昭和8年頃まで個人宅に保管されていたが、その後墓地に埋葬された。昭和28年の大寺村村史編さん事業に伴う調査により再び掘り起こされ、その後日枝神社に奉納された。 直刀は柄の部分に木製の鞘が付着し、全長109.3cm、刀身幅4~5cm、柄部長約19cmである。しかし、寸断が著しく復元困難なため不明な点が多い。刀身は平棟平造、まちの形状は斜角片まちである。年代は6世紀を下らないと推定される。これまで出土した直刀の最大のものは川西町下小松61号墳より出土した物(全長105.1cm)であり、本直刀はこれを上回る最大の鉄刀となる。 下小松61号墳は直径25.5mの前方後円墳である。本塚は小野良実の墓という伝承が存在する一方で、5~6世紀代の前方後円墳であった可能性も指摘される。現存状況からの推定は困難である。 (坊主窪古墳1号墳予備調査報告書 山辺町教育委員会 坊主塚古墳調査団 1989年3月)

基本情報

所在地山形県東村山郡山辺町
築造時期時期不詳
墳丘形状不詳
墳長-
後円部-
前方部-
出土品-
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