概要

昭和45年以降、土砂採掘によって削平を受け完全に消滅している。削平前の昭和34年の航空写真には、南北に長軸が延びるひょうたん型を呈する比高差9mの丘陵地の南端に、人工的な築造と考えられる前方後方墳的な盛り上がりが認められた。地元の古老や地権者からの聞き取り調査によれば、山裾に10基程度の10m前後の古墳が存在していたとのことであり、山稜の3分の2には戸塚山山頂古墳群の最大古墳もしくはそれ以上の古墳が存在していたとみられるが、現在は確認することができない。7世紀後半~8世紀初頭の円墳(横穴式古墳)である。 山形県遺跡番号には「堂田古墳」と登録されているが、他の複数資料には「堂田古墳群」と記載されており、複数の古墳(21基)が存在していたことが記されていることから、堂田古墳群と称する。 【山形県遺跡番号:202-635】 【参考資料】 ・山形県遺跡地図 ・山形県遺跡番号 ・米沢市教育委員会『戸塚山古墳群詳細分布調査報告書』米沢市埋蔵文化財調査報告書第10集、1984年 ・米沢市教育委員会『遺跡詳細分布調査報告書第13集』米沢市埋蔵文化財調査報告書第72集、2000年

基本情報

所在地山形県米沢市上新田
築造時期時期不詳
墳丘形状不詳
墳長-
後円部-
前方部-
出土品-
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みんなの口コミ

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  • guest2022/05/07

    かつての古墳跡は農地へと姿を変え、今では稲作地となっていたが、遠く視界に入る戸塚山からは新たに発見された古墳の存在を感じさせるのである。